気狂いピエロ
気狂いピエロ
気狂いピエロを観た人の感想
映画のコラージュ
かつてシュールリアリズムの詩人のルイ・アラゴンは、この映画を観て、これは「映画のコラージュである」と評した。この映画については、もはや語りつくされた感があるけれど、このコメントがもっとも的確で核心をついている。
この映画ができてからすでに40年あまり。私が初めてこの映画を観たのは83年有楽シネマのゴダール特集。それから四半世紀が経たんとしている。その間ダラダラと歳をとってきただけの私にもひとつだけ言える事がある。それは、時代がこの映画に未だに追いついていない、ということ。それほどこの映画は突出して孤立している。
このDVDの画質ももちろん良いのだが、まだのかたはまずは映画館でどうぞ。そして本物の自由を堪能してください。
気狂いと書いてきちがいと読むべし
私の乏しい映画人生の中で無人島へもっていきたい一本。
物語は一言でいえば殺人を犯した男女の逃避行というよくあるノワールだが、映画のほとんどが筋とは関係のない会話や意味不明なカットの挿入によって構成されている。恐らくこうした逸脱的手法を用いたのは、部分を全体の支配から開放し細胞分裂のように部分を増殖させることで無意味と紙一重の多義性を得ようとしたためだろう。すなわち、「文の集積は完全な意味をつくりださない」のである。
とはいえ、この作品はまだテーマ性が読み取れる分、のちの作品と違って普通に映画として楽しめるようになっている。リンチや初期のタランティーノが好きな人も黒沢清や青山真治が好きな人も、ヌーヴェル・ヴァーグのはじめの一本にどうぞ。
「気狂いピエロ」それは本物の天才に出会った衝撃!
この作品にはじめて出会ったのは私が20歳で今はなき池袋文芸座のオールナイトの「ヌーヴェルヴァーグ特集」でだった。1本目がトリュフォーの「大人は判ってくれない」で最後がこの「気狂いピエロ」だった。この映画を見終わって映画館をでると外は朝日がさし始めた5時少し前だった。映画の魔力と時間(オールナイト)の魔力が相乗効果を上げ凄まじいばかりの衝撃をうけたものである。1984年のことだった。この映画に出会うまで僕にとっての最高の映画はその1年前にみたフェリーニの「甘い生活」だったが、この日からは「気狂いピエロ」がベストである。学生時代だけで映画館で20回はみた映画である。この映画の影響でランボーの詩集を読み、ベルモンドが持ち歩くフランスのマンガ本「ピエニクレ」を探して洋書屋を歩き回り、この映画に特別出演するサミュエル・フラー監督の映画を見る努力もした。憑き物にとりつかれたようにこの映画にはまったものである。この映画のジャストタイムに出会ったわけではないものの、自分が20歳という年齢でこの映画に出会えたことはたいへんな幸運であった。12歳のとき見たTVの「宇宙戦艦ヤマト」、14歳のときに聴いたB・スプリングスティーンの「明日なき暴走」以上に僕にとっては決定的な出会いだった。40過ぎてまでこの映画をほめると言うのも書生じみた感じだが、今住む家のリビングの白いソファに置いてある3つのクッションは原色の赤とイエローとブルーだが、この映画の色使いに対する憧れがいまだに尾をひいているせいである。僕にとって天才のイメージは「天才と気狂いは紙一重」の天才である。ゴダールはそのイメージにぴったりの天才であり「気狂いピエロ」は天才の作品の中でも最も天才らしい作品である。
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定価: \2,500 販売価格: \2,500 人気ランキング: 11036位 おすすめ度: 発売日: 2005/07/16 発売元: ハピネット・ピクチャーズ 発送可能時期: 通常24時間以内に発送 |
映画のコラージュかつてシュールリアリズムの詩人のルイ・アラゴンは、この映画を観て、これは「映画のコラージュである」と評した。この映画については、もはや語りつくされた感があるけれど、このコメントがもっとも的確で核心をついている。
この映画ができてからすでに40年あまり。私が初めてこの映画を観たのは83年有楽シネマのゴダール特集。それから四半世紀が経たんとしている。その間ダラダラと歳をとってきただけの私にもひとつだけ言える事がある。それは、時代がこの映画に未だに追いついていない、ということ。それほどこの映画は突出して孤立している。
このDVDの画質ももちろん良いのだが、まだのかたはまずは映画館でどうぞ。そして本物の自由を堪能してください。
気狂いと書いてきちがいと読むべし私の乏しい映画人生の中で無人島へもっていきたい一本。
物語は一言でいえば殺人を犯した男女の逃避行というよくあるノワールだが、映画のほとんどが筋とは関係のない会話や意味不明なカットの挿入によって構成されている。恐らくこうした逸脱的手法を用いたのは、部分を全体の支配から開放し細胞分裂のように部分を増殖させることで無意味と紙一重の多義性を得ようとしたためだろう。すなわち、「文の集積は完全な意味をつくりださない」のである。
とはいえ、この作品はまだテーマ性が読み取れる分、のちの作品と違って普通に映画として楽しめるようになっている。リンチや初期のタランティーノが好きな人も黒沢清や青山真治が好きな人も、ヌーヴェル・ヴァーグのはじめの一本にどうぞ。
「気狂いピエロ」それは本物の天才に出会った衝撃!この作品にはじめて出会ったのは私が20歳で今はなき池袋文芸座のオールナイトの「ヌーヴェルヴァーグ特集」でだった。1本目がトリュフォーの「大人は判ってくれない」で最後がこの「気狂いピエロ」だった。この映画を見終わって映画館をでると外は朝日がさし始めた5時少し前だった。映画の魔力と時間(オールナイト)の魔力が相乗効果を上げ凄まじいばかりの衝撃をうけたものである。1984年のことだった。この映画に出会うまで僕にとっての最高の映画はその1年前にみたフェリーニの「甘い生活」だったが、この日からは「気狂いピエロ」がベストである。学生時代だけで映画館で20回はみた映画である。この映画の影響でランボーの詩集を読み、ベルモンドが持ち歩くフランスのマンガ本「ピエニクレ」を探して洋書屋を歩き回り、この映画に特別出演するサミュエル・フラー監督の映画を見る努力もした。憑き物にとりつかれたようにこの映画にはまったものである。この映画のジャストタイムに出会ったわけではないものの、自分が20歳という年齢でこの映画に出会えたことはたいへんな幸運であった。12歳のとき見たTVの「宇宙戦艦ヤマト」、14歳のときに聴いたB・スプリングスティーンの「明日なき暴走」以上に僕にとっては決定的な出会いだった。40過ぎてまでこの映画をほめると言うのも書生じみた感じだが、今住む家のリビングの白いソファに置いてある3つのクッションは原色の赤とイエローとブルーだが、この映画の色使いに対する憧れがいまだに尾をひいているせいである。僕にとって天才のイメージは「天才と気狂いは紙一重」の天才である。ゴダールはそのイメージにぴったりの天才であり「気狂いピエロ」は天才の作品の中でも最も天才らしい作品である。